ぽつぽつ
どうせ言葉を綴るなら、ハッピーなことに使いたい。
言葉を綴れるのも限りがあるんだよね。
生きるって、そうだから。
もし文字数制限があって、それ以上書けないんだとしたら、何を書くか
って言ったら、きっと、
だいすき、とか、
すきだよ、とか、
楽しいね、とか、
そういう言葉を言いたいなって。
悲しい時とか怒る時とか苛立つ時とか普通にあるよ?
あるし、頭の中で全身使ってんだかわかんないけど、あーー、こんなひどい発想持ってるんだーとか思うし。
でもさ、それはその時で。
言葉にするって、ちょっと、考えるというか、まあ思い浮かぶけど、こう、少し静かになるじゃない?
なんて言おうかな?って。
その、間があるんなら、
その時間を使ってね、少しだけ冷静さを湛えて、何かを発したいなって、そう思うんだ。
なんていうか、ひどいことを言った口で、
これこれは素敵ねー、
なんて言うの、
私の手はもう血みどろなの!!
みたいな取り返しのつかない犯人みたくなりそうで(笑)
やだなーって。
ネットだといくらでも課金なく言葉を発せられるけど、自分ていう有限な立場で物を考えた時に、わたしは、やっぱりハッピーなことを発信したいなーって思ったのでした。
あと、同時に、一貫性がある人でありたいなあとも。
あと、戦わないにせよ、いざ刃を向けられた時に、間髪入れずに!!!!反論できる自分でありたいなって。
おかしいことを、きちんとおかしいよって、
あれ、今、反論すべきだった?
ってならないように、自分の意思は、決定権は握っておきたいなあって。
ハッピーなこと言いたい口でそういうんだけど(笑)
なんていうか、その幸せなことでふわっふわしてるの好きだから、守れるように、自分をわかってたいなって。
そんな感じですね。
紫陽花楽しみだなあ、おやすみなさい。
ぽつり
不安でいっぱいで、根拠のない自信が持てないことに引け目を感じて、不安を直視したくなくて、ひたすらパズルゲームやって時間をわざと潰そうとしてるんだなって、頭ではわかってるのに、まあいいやそれでって諦めてて。
あ、諦めてるなー自分ってわかるのに奮い立たせることが出来なくて、でもそう自己嫌悪する自分を、また許してあげればいいんだよなって思いつつ、それすらも面倒くて、みたいなループでぐるぐるして、考えんのやめなきゃってなって、体操してみて、でも思考回路とまってくれないってなって。
そんな自分に息苦しくなって、OKも出さなくてってなってて、窓開けたら、
きれいなお月様が見えて…
こう、かっさらわれて。
きれいと思う瞬間、私の中にはその感覚だけがあって、ふっと心が軽くなって。
この軽くなる感じ、
悶々としてたら、誰かとちょっとしたことで、ふふっと笑いあった時ともかぶるなって思った。
あ、大丈夫。
ってなった。
ずるいよなあ、絶対すきになるよね。
惚れてるようなもんだよ。
すきっていいなあ!大丈夫だね!
おやすみ、素敵な夜を。明日を。
生きてればまた咲く
シロモクレン、やっぱりもう咲いてるんですね。
去年見た時と印象が違って、咲く前にかなり伐採されていたみたい。
去年はもっと枝ぶりが豪華だったんだよなーって、並木道を歩いていたんだけど。
その一本、一本、貧相な感じに見えたけど、よくよく見ると、その枝一つ一つにおっきなつぼみがなっていて。
それだけじゃなくて、白い花?が一つ一つ風になびきながら咲いていて。
なんていうか、こう、生きてれば、花は咲くんだなって。
たとえ枝をバッサリ切られていても、不格好でも。
幹が生きてれば、それとも根っこなのか、わかんないんだけど、わかんないけど、こう、生きてれば、またこうやって花を咲かすんだねって、感心した。
なんだろ、枝いっぱいの満開の木のほうがよっぽど絵になるし、華やかだし、好きなんだけど、けど、今のこの、すっかすかに空が見えるような咲き方もステキだねって思えたんだよね。
よくさあ、チャンスの神様は前髪しかないとか、そんなような言葉があるけど、その言葉はこう、今目の前のチャンスをつかめよ!!って意味で背中を押す感じで使うなら大賛成なんだけど、
なんだろ、
だから、このチャンスを逃した自分にはもうチャンスはないんだ!みたいな、
今から手を伸ばしてももう無理、なんであのとき、ああしなかった、みたいな、
こう、後ろ向きで使うなら、そうじゃなくない!?ってなる。
というのを思い出した。
つまり、また咲けばいいし、咲くんだよね。生きてれば。
水があれば?
日差しがあれば?
意思があれば?
うーん、生きてればってのが一番ピンとくる。こころと、体と。
やっぱ心身相関だよね~とか、思った帰り道(´ー`*)。・:*:・
夕焼けの時間に外歩くとラッキー!
青とオレンジとピンクと……いっぱい色見れるものね!