決めつけないで触れてみる
先日、ブログに書いていたことを引き続き書いてみようとトライ。
日付を越してしまったので昨日のことですが、日航機墜落事故の特別番組が放送されていました。
もちろんニュースでも取り扱われていましたね。
犠牲になられた方のご冥福を祈り、またお休みに入られた方々が安全に楽しい時間を過ごされることを願っております。
その番組を見てから、いざ言葉を書いてみようとすると・・・とても難しくて。
事実についてまとめるよりは、自分の言葉を綴りたい。
かといって、簡単に感想をまとめるのも何か違って。
(こんなことは二度とあってはいけない。だとか、点検の重要性、だとか、救助の遅延について、だとか、そういったテーマを短い文章でまとめようとすると、“そうじゃないだろ”と思う)
ただ、そんな思考錯誤をしているうちに、
あ、そっか。
無理に言葉にしようとしなくていいんだ。
と、ひとつ、腑に落ちた。
ずっと、何か意味を見出そう、心に浮かんだ感情を言葉にしようとしていたし、そうじゃないと意味がないって思考を巡らせていたけど、
いま、答えを出せなくても、
今日という日に、こんな痛ましい事故があったことに触れた。
まずは、そこだなって。
いっそ楽しい番組でもネットサーフィンでもその時間を使えば、きっと“有意義”で“有益”であると思う。
言語化できないなら、誰にとっても「ない」に等しいんだから。
だったら、その時間、きっと確実に楽しめるであろうことに時間を費やしたらいい。
人の時間は限られている。
でも、強迫観念のように、
- 効率的であれ
- 意味を見いだせ
- 自分にとって必要なものが何か見いだし、そうじゃないものに無駄な時間を使うな
- 損得を考えろ
にとらわれているなら、「大丈夫、いま意味を見いださなくてもいいよ」って言ってあげたい。>自分
即物的に答えを出さなくていい。
ただ、『あった』ことを知った、興味を持つことをまずは大事にする。
こうした事象は見方が色々あるから、考えるうちに
・・・もういいや、今の私にできることなんてないし考えなくてもいい。もっと面白いことある、
って考え方もあるけど、そこに「待った」をかけて、心が向いたなら素直に従ってみる。
意味があるかどうか、自分という個人がどうのとか、まずは置いとこう。損得とかもね、ずいぶんと社会人になったんじゃないのと自分に笑う。
そんなことを思いました。
この事故に関する特別番組でお話し下さったご遺族の方も、30年という節目を迎えてこうして事故を語ることで、皆さんがこれから生きる上での何かの手がかりになれば、といったことを話されていました。
心中を想像すると言葉が出ないですが・・・せめて言えるのは感謝です。
お話し下さってありがとうございました。