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好きなことを好き勝手に書いています

暗い気分のループにハマってしまったので、自分の気をそらし、状況をささやかに変えた!!

自分の理想と現実の自分が違う時、私は大きく動揺してダメージを受けるらしい。

厄介なのは、自分を攻撃している自分の口が達者なこと。

いくら自分を擁護しようと思っても、ぐさぐさと自分が傷つく言葉や事実を持ちだしてさらに私を落ち込ませてくる。

反論しようにも自分からの怒涛の攻撃にあえなく気分が落ちていく。

さすが自分、自分の急所を良く知っているせいか、自分がショックを受けるツボをよくもまあ狙い撃ちで指摘してくる。

そこまでわかる自分がいるくせに、生半可な言葉じゃどうにもココロを納得させられなくて、結果・・・落ち込む。

 

じゃあ、何がきっかけでこのような事態=ショックを受けるか。

 

(1)問題が解けなかった時

問題が解けない時に、「ああ、なんでこんなにできないんだろう・・・」って落ち込む。

「悩んでる暇があったら、さっさと解けよ」って思うのに、悩んでいる自分が情けなくてまた凹む。

この程度のことで凹む自分に気付いて、さらに落ち込む。

 

頭では、「前よりも進んでる!」ってわかるのに、自分の中で何かが引っかかって、また落ち込むループに入って、ペンが止まっている自分が嫌になって、いつまでもズルズル引きずる自分が残念でならなくて・・・

 

これで結局勉強をやめちゃうと、勉強をできなかった自分という事実にまた悲しくなる。

なんだこれ、逃げ道がない。

 

(2)周りの人についていけない時

最初は私も楽しくしていたはずなのに、好きだと思っていた周囲と温度差を感じる。

あるいは、「いいね、いいね」ってさっきまで思ってたのに、途中から「あ、なんか違うかも」って感じ始めた時に、「ああ、なんで同じように感じられないんだろう」「同じように振る舞えないんだろう」って気後れし始める。

 

  • 単なる自意識過剰かな
  • みんな同じなんてあり得ないから、そのままの自分の意見を出せばいい
  • 自分の感想を素直に述べて、相手の空気がどうなるかは相手次第

そうは思ってるんだけど、だけど・・・というデモデモダッテという言い訳さんが出てくる。こんにちは、よく会いますねって感じ。

でも、でも、だって・・・って言い訳が多い人の代名詞って感じで、やめたいやめたいって思うのに、やめられない。

 

好きだったはずなのに、好きと思えない自分が哀しくなる。

悪くないし、そのままでいいはずだし、じゃあ何が好きなの?何が良かったの?って聞くと、「よくわかんない」って投げ出したくなる。

結果、自分の気持ちが面倒になって一人の方がずっとラクって思う。

一人ならだれも傷つかないし、自分も傷つかない。

こういう心理の解説だとか、結局は自分が守りに入っているだとか、自分の状態を説明してくれる言葉はいくらでも世の中にあるのに、どうにも気持ちがすっきりしないのが自分の問題だろうってことはわかるのに、どうしたらいいかわからない。

 

空気を読むなと言われても、この一言で傷つけたらどうしようってそればっかり浮かぶ。傷つかないはずって頭ではそう思うのに、心がギュッとなって黙って、楽しい喧騒から離れたくなる。

にぎやかなところは好きなのに、参加している自分に違和感を感じる。

その違和感が消えて、みんなと同じ感覚になりたいって思うのに、なれないんだろうなってわかって、なれないことに悲しくなる。

 

 

さて、

 

こうも悲しい気分になっていても、たった一つ希望があるとしたら、「この状態から変わりたい」って気持ちが私にはずっとあったから。

 

自分の気分が自分の物事を引き寄せる=引き寄せの法則

 

そんなものがあるとしたら、

  • こんな悲しい気分になってる私はもうどうしようもないな
  • もういいよ、私は変われない人だよ
  • どうせあの人たちみたく明るくいられない
  • 一生このままだ
  • 変われるなんて人、それはその人がいっぱい魅力あるからだもん。私はその人じゃない

ってことばかり考えている私は、もうどん底だなーなんて、思うんだけど、

 

このままはいやだ

 

って心にはずっとあって、もう暗い気分でいっぱいで心が頭が支配されていようが、嫌だって思うと・・・

 

まず、目を動かせることに気付ける。

 

暗い気分だと何にもしたくない。

 

けど、自分は頭だけで生きていないし、心だけで生きていない。

 

なので、「このままはいやだ」っていう意地なのか意思なのか、その気持ちを軸にして空を見上げてみる。

 

青空、きれいだなあ。

 

もしそう思えたら、そのままどんどん綺麗なものに触れ続けたらいい。

好きなモデルや女優さんの写真でも、旅行の写真でも、好きなポストカードでも、画集でも、お花でも、ガラス細工でも、おはじきでも、ビー玉でも、ビーズでも。

 

でも、今回は駄目だった。

ので、突如、手元の小説を読み始めた。手を使って、本を開いて、文字を読む。追い続ける。

 

私は、これで、さっきまでの暗い気分のスイッチがオフになったらしい。

本を読む=頭が本の世界に入り込む=頭が使われている状態になって暗い気分を考えなくなったからだ。

 

他に自分を暗い気分から遠ざける方法として、

  • 音楽を聴く
  • 身体を動かす(首を回す、腕を回す、体操してみる、走ってみる)
  • 声を出してみる
  • 寝る
  • 食べる
  • 飲む

みたく、頭以外を使ってみる。

本が今回有効だったのは、思考が働きすぎていたから、文字を読む行為が気を紛らわすのにちょうどよかったからだ。

 

個人的に気分が暗くなる場合、

  • 身体が寒い
  • おなかがすいた
  • 眠い
  • 疲れている

という身体の状態も考えられるので、その辺をなんとかすると、きっと自分が何とかなって来る。

ちなみに生きていく上で、寝るか食べるかあたたかくするかのどれか2つ以上が消えるとやばいと思われる。なんとなく経験則。

 

 さて、暗い気分がスイッチオフになっても、

(1)問題が解けなかった時

(2)周りの人についていけない時

という場面に遭遇すると、再び暗い気分スイッチがオン!!になる可能性が高い。

 

現に私は(1)の問題に再度取り組んだところ、「なんでわからないんだ・・・」って落ち込んだ。

 

が、一歩復活した私には、一つの考えが浮かんだ。

 

「なんでこんなこともわかんないんだろ。私ってだめだ・・・」

 

となったときに、

 

「パソコンで検索してみよう、この問題」

 

ってそばのパソコンで問題の解説を調べてみた。

ら、「なるほど!」ってな感じで、けっこうカンタンに理解できた。

 

問題が出来なかった時、「ああ、もうなんで自分わかんないの」ってまず、自分自身に原因を求めなくていい。というか、責めなくていい。

問題が解けない・理解できないのは、

  • 解くために必要な情報が足りない
  • 解説文自体がおかしい

ことが考えられる。

 

なので、問題の解説を読んでも理解できなかった場合、「この解説文が日本語になってないから、他の解説を探してみよう」ってやると、案外あっさり解けることがある。

また、予備知識を知れば、なんなく解けてしまう事もある。

 

ネットがあるって本当に便利だねえ、なんとかなったよ!!(単純)

 

勉強ってまるで先生が神様みたく感じられるけど、先生って世の中にはいっぱいいるし、教科書にしても同じことを教えているのに色んな説明方法があるので、合う・合わないはある。

A先生に教わってもわかんないのに、B先生ならすぐ理解できる!ってこともある。

あと、参考書があふれているジャンルならいいけど、マイナーなジャンルの場合、メジャーな参考書でも解説が不親切なことがあるから、教科書=神様なわけじゃないことはわかっておく(理解できない自分を責めなくていいってこと)。

 

今の状況でわからない自分は、別に、事実は事実。

<どう状況を変えたら、問題解決するか>を考えると、案外道は開けてくる。

 

私の馬鹿ーーー!!って頭がいっぱいになったら、まずその暗くなるスイッチをオフにして、何も考えずにパズルを組み合わせるように、状況を変化させよう。>自分

 

 

(2)周りの人についていけない時、については、まあ例えばクラスが盛り上がってて自分はついていけていない時は、いまいち対処法がわからないけど、やっぱり何か自分の状況をかえてみる=行動してみると何か変わるかも。

 

今の状況をどう捉えたら、気分がよくなるか。

 

その問題って、物事の捉え方を変えればなんとかなる=行動しなくても気分は変えられるんだよね。

でも、頭でどうにかならないし、人の言葉を読んでも聞いても聞かされても、結局、自分の心が納得しないとどうにもならないわけで。

 

心が変わらないのは、ある意味固定観念に捕まってるんだろうし、もう今の自分では解けない問題なのかなって私は思った。

 

知識が足りないか、そもそも問題が悪いか。

答えが出ない問題は、問い自体が答えが出ない作りになってる可能性もある。

 

だったら、その問題自体を作り変えちゃえばいいかなーって。

もうだめ、答え出ない!!ってなったら、こんな答えが出てほしいから、ここをかえちゃおうーみたいな。

 

みんなの笑いどころがAだとして、Aの魅力はさっぱりわかんない私は代わりにBってポイントに注力してみて笑うとか。

 

Aの魅力がわかんなくて笑えなくて、みんなと一緒になれなくて悲しい。

 

って悩んでいたとしたら、

 

Aはわかんないけど、Bで笑えてれば、結果的に一緒に笑えてるからそれでいいや!

 

みたいな。

もはや論点をずらしてるんだけど(笑)、もう結果的に“楽しめてる”って状況ならいいかなーって!!

 

笑えてればいいかなーって、最終的にハッピーならそれでいいや!って、そこだけ、一番最後のゴールや自分が求める本質さえわかっていれば、後は自由にフレキシブルになんとかしちゃえばいいかなって。

 

いや、完璧に同じにしなきゃ!!って、同じになりたい気持ちはあるけど、なんでそう思っているか、も、同じになる方法も今は自分の答えを持ってない。

わかんないことも、許そう。今はわからなくていいってほっといて、とりあえず笑ってようーって、もうね、笑ったもん勝ちでいいやって思う。

 

私が笑ってて、それを喜んでくれる人がいるって、もうそれだけで私は幸せだよ。

人に依存してることになるのかなあ。よくわかんないけど、このさき、喜んでくれる人がそばにいなくなったとしても、それはひどく悲しいけど、可能性がゼロじゃないって思えば、それが一つの希望になるかなあ。

 

うーん、考え込むスイッチ入ったかなあ。

笑おう、笑おう。笑顔ばっかり最近描いてる。うまいへたじゃなくて、なんでこうも人の笑顔って描いてるだけで幸せになれるんだろ。

好きなんだよね、笑顔が。モデルさんの写真も最終的にクール系じゃなくて笑顔ばっかり好みなんだもん。なんかトラウマでもあるのかな??

 

あーー笑ってたいなあ。

ごちゃごちゃ書いたけど(笑)、結局笑ってたいだけ。好きだもん、笑ってるのも笑ってるの見るのも。

好きなの!!