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小さな悩みと、この間の腑に落ちたこと

私に残された枠は、10個……。

細やかな悩みに相変わらず翻弄されているなあと思うんだけど、悩みながら楽しんでいるんだろうとも思う。

 

10個が何かって?

それはね、図書館の予約できる本の数だよ。

 

……。(´ε`*) 細やかでしょう。

 

でもなんで悩んでいるかって、シリーズの本が読みたくなって。

そのシリーズは10冊どころじゃない本数が出ていて、久しぶりに読みたいなと思っても一回の予約じゃ読み切れないんです。

でもでも、一気に読みたいじゃないですか。秋の夜長に本を一気に読むぜいたく!!

地元の図書館にもこのシリーズの本がそこそこ入っているんですが、所蔵されている基準が謎で、シリーズの並び順ごとに入っていると思いきやそんなこともなく、何故か前編・後編の前編しかうちには所蔵されてなかったりして。

前々から「いっつも後編借りられてるなあ……」って思っていたけど、そんなことはなくて、普通に他の図書館に所蔵されておりました。そりゃ出会わないわ。

何度か読んだことがあるんだけど、急に読みたくなって……一冊一冊、遠い日の記憶を紐解きながら、たぶんこの選択で、私の読みたい部分を上手いこと味わえる。はず。

 

……。

 

あーーー、後で、「これも借りておけばよかったーーー!」ってなるんだろうか!!

 

いやまあ時間をかければ予約さえすれば届くんだけど、やっぱり一気に読みたいんだもん。いっそ買っちゃおうかなあーって気もしつつ、本棚とも相談だよねえ。

相談している時点で即決できない状況ってことだよなあ。(´_`。)グスン

 

しかし、もう予約したから私を信じるしかない!!そして手元の本を読み切らないと次が借りられない!読まねば!

 

そういえばね、新着本のところにハロウィン特集の本があって、思わず借りてしまったんだけれども、とってもよかったですよ!!!!!

私と同じくハロウィン好きの友達につい紹介してしまった。ハロウィンの成り立ちとか、まつわる詩だとか伝承、風習、仮装の服の作り方、食べ物、いろんな挿絵……夢のようです!いえ、ファンタジーのお話が乗ってるんじゃなくて、ハロウィンという視点でまとまっている本なので、開くページ開くページがときめくんですよ!!そしてしおりがカボチャで可愛い。

自分用に買っちゃおうかな。さっき本棚と相談すると言ったのにね。みんなちがってみんないいんだもの。

 

と、前回書きたかったことを唐突に書く。

 

自分的にしっくりこなかったのが、例えばみんなが楽しそうにしていて、自分がそれについていけなかった時。

自分の心の中では、「楽しいと思えない」っていうのがわかっていて、でもなんとかしたくって、自分の感じているものは間違いじゃないはずなのに、間違っているような気さえして。

なんとかしようとしても、なんとかできないんだろうな・・・という感じがして、でもなんとかできるはずだよね?と思っているし確信めいた感覚さえする。

 

じゃあ、この違和感は何?

一個一個の考えは自分の中で正しいと思うのに、上手いこと整合性が取れていない。

 

つまり、

 

  • 「楽しいと思えない」という感覚は、自分の中にある
  • この感覚は間違っていない=正しいと思う。
  • なんとか「楽しくない」気分を、いい気分に変えられると思っている
  • でも、「楽しいと思えない」という感覚は、感覚として正しいと思っている
  • 正しいと思っている感覚を変えるってどういうこと?

 

という上記の辺りが上手いことしっくりこなくって。

ようは、自分が正しいはずのものをどうやって変えられるの?変えられるはずだけど、この感覚は感覚で存在してるよね?いいんじゃないの?

 

って、もやもやーっとしていたんだけど、自分的に腑に落ちたのは、

 

物事(1) + 物事(2) = ”楽しくない”

 

という式があるとして、この「物事(1) + 物事(2)=」という式から導き出した “楽しくない” という感覚(答え、結果)は、正しいってこと。

自分、間違っていない。

 

物事(1)、物事(2)から自分が認識しているものを、自分なりの公式(ルール、常識、観念)で解釈してみた結果だから、私の世界でその答えは絶対に正しい。合ってるんです。

 

で、同時にさっき悩んでいた“楽しくない”という感覚を、”楽しい”っていう感覚に変えられるという話。

 

”楽しくない”

 

この感覚自体は間違っていないんです。

この感情は、自分が導き出した答えであり、結果です。

 

結果なんだから、もうどうこうできません。

 

抽象化して算数に変えてしまえば、

10+10=20

このとき、20は答えであって、式と値が10、+、10になってる以上間違いな訳ないんです。

自分がこの計算式のルールを定めた結果、出した答えなんだから正しい。

 

で、結果をどうこうするんじゃなくて、その前を変えれば結果は変えられます!!

 

つまり、数字の例でいえば、20を出したくないなら、

 

10+20=30

 

にするなり、

 

10+10+10+10+・・・・+10=100

 

とでも、値を変更すればいいんです。結果は変わります。

 

もしくは、

 

10×10=100

 

だっていいんです。別に誰も + だけを使いなさいなんて言ってないんです。

値だって10以外の、1だろうが10だろうが77だろうが888だろうが、なんだって使っていいんです。

更に言えば、+と表記していても、違う意味付けをして、ボーナスポイントのように数字を勝手に加算したっていい。

 

数字じゃない現実世界なんて、もっといろんな部分を選び出して、好きなようにかけ合わせちゃえば、自分の望む答えを導き出せるんです。

そして、導いた答えは絶対正しい。自分が捉えた世界を、自分で決めたやり方で解釈してるんだから。

後は、どんな値を、答えを、自分が導き出したいか。それだけなんです。

 

自由だ!!!!!

 

って感じません?

 

私はめっちゃこう考えたら、「あ、私自由なんだ!!」って心が軽くなりました。

結果を変えようとしていたから、苦しかったんです。

できないから。

結果は結果、もう計算した後。

結果を変えられるとしたら、自分のなかのルールと矛盾しちゃって自分を否定することになって苦しい。

 

でも、値を変えられる、式を変えられる、好きなように式を組み替えられることを知っていれば、どんな結果が出ても怖くないんです。

変えられるんだもの、自分の好きなように。

 

って、わかりづらいかなー。

 

後は、料理に例えてもしっくりきた。

 

目の前に材料がある。

材料の好きな部分だけを、好きなように調理して、味付けして、出来上がった料理がお皿の上にある。

食べてみる。

 

まずい。

 

で、まずい、という感覚を何とかしようとしてもまずいものはまずい。

でも、まずいと感じてしまうのが悪いわけじゃなくて、料理は自分がやったとおりにやれば、また、まずくなっちゃう。

出来上がりの料理に、後付けにレモンをかけたり、調味料を足してみたり、再度手を加えてみて、なんとかなる場合もあるけど、とんでもなくまずければ、やっぱりまずいんです。

 

まずい、という味は、自分が選んだ材料と調理の仕方の結果。

 

でも、材料のおいしい部分をチョイスして、調理を工夫すれば、今度は「おいしい!」っていう味を導き出せる。

材料は同じだって調理次第でまずくもおいしくもできるんです。

材料だってわざわざまずい部分ばっかりチョイスすれば、いくら調理でなんとかなったって、使えない食材ばっかりだったら難しいでしょう。

 

現実世界の物事も一緒かなって。

まずくなる部分=悪い部分ばっかり選んでみて、いかにも心がぐったりするような意味づけして、出来上がった感情は、そらネガティブにもなる。

悪くないんだよ、そう自分が作ったんだから。

 

でも、私は自由だから、同じ材料のおいしい部分を吟味して、うまいこと作ってみれば、今度はもっと気持ちいい感情になれる。

 

料理と違って、心はいつでもどこでも物理的な制約もなく変えられるし、自分好みにしても文句が出ない。

なんて自由!!!!!

 

だから、失敗してもいいなって。

うっかり”悲しくなったり”、”苦しくなったり”、”怒ったり”、”悩んだり”しても、好きなように”楽しくなったり”、”嬉しくなったり”、”喜んだり”、”はしゃいだり”できちゃうんです。

結果=感情を怖がる必要もなくって、すきなように変えられることを知っていると、ほっとするなーって思いました。

 

ふふふ、通じるかなあ。

通じるものではないんだけど、これは今の私の導き出した答えであって、また私の世界ではこうなっているってだけの話なのでね。

でもねえ、こう話をするってことは、「うんうん、そうだね」って言ってほしいからなんだろうなー。今度聞いてもらおうかな。こまごました話題多すぎてあれだけども。なかなか面白いプチトラブルがあって、話題に事欠きません。笑

 

ひとまず、ここでキーボードから手を放しましょう。

ねむたーい!

 

おやすみ!だいすき!