物事はシンプルに進めよう
今日、お仕事をしていて、「もーーーー!!」ってムカムカしつつ、手を動かしていたところ、
あ!(。・ω・。)
ってひらめいて、そっから解決の糸口を発見し、
やったーーーー!!ヽ(*´∀`*)ノ.+゚
ってなったんだけど、こういう快のキモチは、ハマるとやばそうだなという予感。
というか、これまでけっこう味わってきたうまみな気がする。
こう苦労して、つらくて、悲しくて、そこから脱した時の気持ちよさ。
苦しみが深ければ深いほど、頭を悩ませば悩ました分だけ、解決した時の快感があま~くなる感じ。
危険!危険な気がする!
何が危険かって、知らず知らずのうちに、ちょっとした問題を引き寄せちゃいそうだから。
自分で引き寄せて、自分で苦しんで、手の届く範囲の困難を脱して、快感を得る。
解決してるんだからいいじゃん!って、そんなことないと思うんだよ。
最初っからややっこしくしなきゃいい。困難のない状態で、すでに楽しめないって、なんかよろしくない気がする。
気付いたけど、予測できるとつまんないって感覚になる。
ああやって、こうやって、それでAさんに聞いて、Bさんにこれやってもらって・・・あぁ、つまらない。
って気持ちだと、ちょっと予測しないトラブルを求めだす。
「あー、なんでうまくいかないのー!?」
ってイライラしておきながら、その陰で、その苦しみを自分が自分で求めてたりして・・・って思ったら、『ちょっと目を覚まして自分!!』ってなった(。pω-。)
自分の現実が変わらないのは、自分が変わりたくないからだ。
その言葉をようやく理解できつつある、気がする。
あの、すっごくまた規模が小さすぎるお話なんだけど、パスタあるじゃないですか。
ええ、食べ物です。食べ物のパスタです。
パスタってフォークで食べるじゃないですか。フォークだから、数センチの長さのパスタをフォークで食べようとすると、すっごく取りづらい。
フォークにパスタを絡めるからですね。
で、パスタって、最初っから数センチの長さになることってないんです。
ゆでる時点で、あれだけ長いんですから。
もちろんゆでる時点で折っちゃった!ってこともあるかもだけど、パスタを折らずにゆでたと仮定した場合、お皿の上にはフォークで絡められるパスタだけのはずなんです。
でも、量が少なくなってきたお皿の上には、フォークで巻けない長さ=数センチのパスタの姿が・・・
どこから出てきたかって言うと、パスタを噛んで食べたから。
そのパスタを食べた本人の食べ方次第で、この数センチ足らずのパスタが生まれてくるわけです。
おいおい、お話や!って感じだと思うんですけども(笑)
いやなんか似てるなって。
お仕事でも何でもなんだけどさ、最初っからめんどくさかったっけ?って。
このパスタとおんなじで、最初は普通にフォークに絡めて簡単に食べれる物だったんじゃないかなって。
でも、どこかで私のやり方が違ったせいで、うまいこといかない長さのパスタが生まれちゃったんじゃないかなって。
物事を難しくしたのは誰だ?っていうね。
犯人は・・・わたし!?みたいなことを思った(。-ω-。)
私、小説書いてたんですけど、書き途中多くって。
あ、私、飽き症なんだって思ってた。
でも、このパスタ方式(?)に気付いてから、「そういえば、書くの途中でめんどくさくなってたな」って、で、めんどくさくしたのは、私が
- こういう風にしないとつじつまが合わない
- ここの流れが矛盾してる気がしてよくわからない
- この技術が説明つかないから、ちゃんと裏打ちする理論を考えないといけない
ってたくさんの"しなくちゃ!!"っていうルールを知らぬ間に定義してたからかなって。
ようは、
小説書くの飽きたー!ってなったのは、書くのがめんどくさくなったから。
書くのがめんどくさくなったー!ってのは、自分で面倒な設定を自分に課していたから。
・・・全部、わたしが決めてるじゃん!!みたいなね。笑(*´ω`)
"しなくちゃー!"って楽しくならないときは、そっとルールを外そう。
んで、矛盾しても、かっこ悪くても、前に進もう。
こけても、失敗しても、まあ痛いかも知んないけど、最初に歩き出そうとした気持ちはワクワクしてたから、その"楽しい"気持ちをもっと鮮やかに味わいたいなあって今は思うのです。
今週末、旅に出る予定なので、旅のお供の準備をせねば!この気持ちはわくわくだわー!
そいや前にやった占いで、「あなたは旅行に行くと運気が上がる」とか言われたけど、例え手相に否定されようとも、私は旅に出る。絶対って思った。なんだろう、謎の決意。笑
おやすみ~、明日寒いってさ!あったかくしよ~