散文:すき
考えすぎて疲れちゃったときに、自分が好きだと思うものに触れると元気がもらえる。
とても単純なことだけど、「ああ、すきだ」と思い出すと、自分の心のありかを思い出せる。
言葉や思考ってこうも窒息させるよね、心を。とめどなくあふれてつっかかって、取り除こうと別の思考を足しても組み合わせても、ダメなものはだめで。
くるしーーーーって、もう情報いらーーーーーんって、なったときは、好きなものを見る。
やっぱり絵だったり、きれいなものだったりする。
あと、歌。歌ね。好きな歌を声だして口ずさんでみる。
とても単純なことなんだけど、前向きな歌詞を、好きな音楽や好きな歌手の声を思い出しながら合わせて歌ってみるの。声に、出してみる。
すると、単純な私は思い出す。何を悲観してるんだろう、今日は日曜で、まだまだ時間はたっぷりあって、夏が終わろうとしてたってこれから実りの秋が来る。私の好きなハロウィンの季節じゃないって。
ときどき、というかしょっちゅう、考えずには入れないって思いこんじゃうけど、大丈夫なんだから大丈夫なんだよね。
あーーー好きなものに触れるって素敵。すてきだなあ。すてきなものにあふれてる。
こないだだって寝ようと思ってカーテン閉じようとちょっと顔あげたら雲の切れ間からまんまるお月様見えて、お月様だーーーって嬉しくなったんだ。その前もそう、ストロベリームーンのとき。今日、やけに月赤っぽいねえーレアー?って思ってたらほんとにレアだったし。
こう、理不尽なことを理詰めで崩そうとするとき、どうしたって「これ、ほんと理不尽だ」って実感することになるので、それでダメージ受けちゃうんだよね。
冷静にならなきゃ、何にも知らない人にもわかるように伝えなきゃってそう頑張ろうとすればするほど、思考でいっぱいで苦しくなるんだよね。
それはシグナルだ。忘れないように。
すべてのはじまりは”すき”からはじまって、雪だるまのように必要と思われる思考を巻き込んでいっても、一番初めはただ「すき」で、もっと一緒にいたいだけってこと。
疲れたら、目を背けるもありだ。だってすきなほど、くるしいもの。
ぶれないように、どこか見失わないように、違うナニかをみて、わたしの「すき」を思い出す。心を見失わないようにする。
瞑想とか頭が空っぽになるっていうけど、私はダメだなあ(´ー`*)。・:*:・
きれいな絵のクリアファイルみたり、絵いっぱい見たり、歌ったり。
映画見たり、本読んだり、マンガ読んだり、ぐいーっと体を伸ばしたり。
すきはある。こころにある。思考はすべてわたしのものだ。
こころに触れるために、すきにふれよう。