走り書き
みえるものをみるんじゃなくて、みたいものをみるんだ。
見えるものにおぼれかけても、
気付かなきゃそのまま笑ってられるのにどうしてだか気付いても、
湧き出てくる思考に埋もれても、
しばらくしたら浮かぶってこと、
一瞬で世界は変わること、変えられることを覚えておこう。
それと、見かけが変わらなくなりつつあるこの世の中で、日々の変化に疎くなっても、
それでも、年を重ねてることを覚えておこう。
あなたは美しくて、優しいままで、私の大好きな人。
いつまでも変わらなくて、時折見つける変化に、いつかの別れを予感してふと哀しくなるけど、見かけにとらわれる私は、あなたはまったく変わってないって思いこむ。
この日々がずっと続いてくれるんじゃないかって思いこむ。
あなたも、そして、わたしも、年を重ねる。
それを自覚しておきたいと思った。愛おしい日々を、変わらぬ日々を、でも着実に重ね、私も、あなたも変化してる。終焉はある。その先に何があるかはそのとき見つめるとしても、今を見つめることは、見るままを受けとめることじゃない。
まどわされないで、川の流れが変わらぬように見えても、その水は流れている。
流れは心地よくて、ふやけそうだ。
まどろむように、深く呼吸をして、ああ ここにいるって思おう。
だいすきなの、だいすきで、失いたくなくて、このままでいたくて、泣きたくなって。
でもそう願うってことは、終わりを自覚してるってことだ。
うん、だいすき。大好きって気持ちに包まれよう。そのとき、かなしみもとけて、やさしい光になってるはず。
なーんてね、ふっふふ