徒然と色々と:美化しないために、気付きを忘れないために記録する
最近ブログを書かなかったけれど、頭にずっとブログがあって。
ブログがあると言うと、ブログを書かなくちゃっていう気持ちみたいだけど、そうじゃなくて、何かを記録したいって言う感情で。
何を、記録したいか、私自身よくわかってないけど、書かなきゃって気持ちがあった。別に、mustって言う強迫観念じゃないんですよね・・・書いた方がいいっていう書かなきゃ。
けれど、私は特別に<発信>をしたいわけじゃない。
「こんなことした方がいいよ!」
「こんな情報がお得だよ!」
という素敵な情報はもう有り余るくらいあふれていると思うし、むしろ私はそちらを見るし、私=メディア、みたいな強い気持ちはないし関心もあまり・・・
じゃあ、
こんなことがあった、
今日はこんなことがあった、
という日記的なものか、と言われると、まあそれに近いけれど、それは別にわざわざ書かなくてもなあって思ってしまう。
第三者から見たら同じかもなあって思うけど・・・なんか違うんだよね、日記、ではないんだよね(*´~`)
だから、“記録”をしたいんだとふと気付く。
だから、誰かの目が欲しい。
誰かに報告するとしたら、自分の言いたいことを整理するでしょう。
どうやったら伝わるか、それはきっと後で見直す未来の自分にも言えることで。
私がこうやってブログに書こうとする基準は、やっぱり誰が見てなくても書きたいと思えるか、かなあ。
誰かの目が必要と言っておきながら、誰が見なくてもいいと思えることを書きたい。矛盾、楯と矛。
ある意味で、ちょっと作品近いよね。いや、この文章が作品と言いたいわけじゃないんだけど。笑
作品って、例えば絵とか、私の場合は、もう綺麗だから描きたくなるだけで。
歌だって、なんだか歌いたいから歌うだけで。
それは踊りかもしれないし、演奏かもしれないし、料理かもしれないし、言葉かもしれないし、なんだっていいんだけど、
描け!
書け!
って言われて作るもんじゃないじゃないかなって。私の場合はね。
そういった類のものと似てる匂いがする。と、思った。
私の好きな漫画家さんが、「クリエイターとは?」という質問に答えてらっしゃって、私、その答えがとても響いて。
Q.クリエイターとは?
A.作らずにはいられない人。
と、答えてらっしゃって・・・・・うわーーーーー!!って思った。
すごく、しっくりきて、同時にかなしくなった。
あ、私は作らなくても生きていける人間なんだって、悲しくなった。
ええ、ええ、悲しくなる必要はないでしょう。でも、そんな熱量を持ってないってことを知りながら、クリエイターって作らずにはいられない人、という式がとても納得してしまって。
かなしくて。
かなしくても、そのあと、作らずにはいられない時が、私にもあって。
それでもいいんだよね。って思いながら作ったりしている。
って話がずれた!
記録の話、なんで記録したいか。
記憶を美化するのは、美徳かと思う。
あの頃は良かったって思ったり、なんだ、意外とよかったのねって思ったり。
忘れられるから、あんなに悲しく泣いてても、今こんなに笑えるってこともあるから、それはいいことだと思うんだけど、同時に過去に得た気付きを忘れるのはもったいない。
こないだ資格試験を受けたんですよ。
久しぶりの大学、もーめっちゃ懐かしくて、きゃー長机ー!!とかテンションあがったし、おそらく運動サークルの子たちと同じ大学目指して歩くと、学生気分だなーっとか嬉しくなったし、勉強するのは好きなので、わー!!大学ー!!!ってそりゃもうなんかとにかく楽しかった!!なんなら社会人で大学とかもいいんじゃん!?みたいなテンションでいて・・・
けど、3時間近い試験を受けながら、思いだした。
勉強と試験勉強は違ったなーって。
それもある種の勉強だからいいんだけど、大学の勉強は別としても、受験勉強だとか偏差値だとかにうんざりしていた時の気持ちは確かにあったなーって。
否定はしないし、そういった勉強も役立ってると思っているし、でもそれとこれとは別。
確かにその真っ最中に居る中で、自分なりの気付きを得ていたなって。
それを忘れて、一般論で個人を語り直すのはもったいないなって。
自分で得たものだからね。私にしか通用しないだろうけど、私に通用すれば十分儲けもんだよ。
あと、大人になって忘れてたけど、私、皆でおそろいをする、という見えない空気がとんでもなく苦手だったなーって。
それをね、今になってみると、「みんなとおそろいにしたらよかったかなー★」とか思っちゃうわけ。
時間がたってみると、私って偏屈だったなあとか思っちゃうけど、でも、あの時感じた空気は確かにあったんだから、そして拒絶した心はあったんだから、それでよかったんだって。
今を肯定するために、過去を否定しないようにしようって思う。
あの頃の私、どうかしてた、とかそういうの。
基本的にしないけど。
自分に自信なんてないけど、私は自信があるって言えるのは、私を大切に思ってくれている人がいるからだ。
私の大切な人が言うなら、私は大切な人を信じるから、信じられる。
変な論理だと思うけど。笑
人任せだよねえ、わかってるけど、でもそんな風に私は出来ているんだよね。
いまも、なんか言葉にすると、ああもう気持ち悪いかなあって思っちゃうけど、誰か好きな記事をみて、この記事を書いた人ってどこかにいるんだよなーって思うと、なんかもうそれだけでなんか嬉しくなるし、自分の頭で考えると袋小路だとしても、もし、ほにゃららさんだったらどう考えるんだろって思うと、ちょっと希望が見えてきたり、別の選択肢が見えてきたりしてね。
前向きになれるんだよ。
それに、万一そんな人がそばにいないとしてもさ。
(1)自分を大切にしてくれる
(2)自分を大切にしてくれない
もっとシンプルにしよう、
(1)すき
(2)きらい
の2択に分けられるなら、これから出会う人がそのどちらかである確率って50%でしょ?
で、確率論で言ったらさ、ぜーーーーーーーーったいいつか、好きになれる人に会えるんだよね。面白いことに0%にならないんですよ。
これ、めっちゃ希望ありません?
てか、希望がある!!
成功と失敗も同じだし、0%じゃないって未来あるなーって思う。
何の話だろうヽ(´□`。)ノ・゚
てかもう言葉にすればするほど、私、ブログに書いていることってさして誰かに話したことないから、このブログにいる人は誰だろうって思う。でも、ぜーんぶわたし。わたしのわたし。
全部言葉にしてたら、ずいぶんと印象が変わるんだろうなあ。
こっぱずかしいもんね。だって誰にも会ってないのに、こうやって文章書いてるだけで照れくさいものね、なんだろう、ほんと自意識過剰なんだろうな。早く慣れよう、うん。
これもそれも全部私。大人の前ではいいこだけど、ほんとの私は・・・みたいなの見ると、ちょっと悲しい。
あと、「今まで本当の友達いなかったの」みたいなのもかなしい。
だって、ほんとってなにさ!みたいな!だってこの目で見てきたんだから、私の世界にはそんなあなたはいるんだから否定しないで!って思っちゃう!!否定されたわけじゃないけど、こう、作った自分だってちゃんといるんだから、いいじゃん!みたいな!
やっぱあれだよね、ごちゃごちゃごちゃと考えていると最終的に、「自分はどうしたいの?」って所に行きついて、自分が好きな方にいったほうがハッピーだなって思う(唐突なまとめ)
色んな人がそう書いてるのを後追いで気付く、みたいなね!(*・ω・)ノ
安易だな~、そういや一時、安易な幸せって単語が頭から離れなかった。なんだろうなあれ、疲れてたんかな、でも安易なのもいいよね。飴玉一つ、チョコ一つ。
この人、仕事押し付けてきて!キッ!って怒ってたけど、
「みずきさん、これ」
「え、なんですか」
「あげる」
と、コンビニスイーツひとつで、とってもハッピーになった私ですよ。
コンビニ行ってる時に、私のこと少しでも思い出してくれたんだなって嬉しかった。さっきまで怒ってたのにね、憎めないじゃん!!ってデスクをはたいた日もある。おいしかったです(。・ω・。)
今は書き散らかすしかあるまい。
おやすみ。寒いからあったかくね。