希望=ひかりがある世界
大好きな人に会ったり、一緒に時間を過ごせるって、ほんっとにしあわせですねー!
天気もとってもいいし!青いし!まぶしいし!日差しあったかいし!
あーーーー、もー、しあわせーーーー!!ヽ(*´∀`*)ノ.+゚
だいすきー!
ってなったときの感覚って、私のなかでは、光がぱっとともるのと同じな気がする。
光(ひかり、こう)の意味としては、
- 明るさそのもの、光っているもの
- 輝いて、明るくするもの
この二つね!!
上手く言葉にできないんだけど、「すきだ」って思うたびに、私からその相手・ものに光を当ててるみたい。
まるで、撮影スタッフの照明班のように、ぱっとスポットライトを当てるイメージ。
そうするとね、私の当てたスポットライトのおかげで、相手の素敵なところがよく見えるわけよ。
さらに、一つの光のおかげで、今まで目に入ってなかった世界も自分の中に飛び込んでくるの。
「あ、これもすき!」「こんなのもあったんだー!」みたいな出会いで、世界が広がるの。
ほら、好きな人が出来たら世界が違ってみえた、みたいなのあるじゃないですか!
あんな感じ?
好きなモノが自分の関心を広げてくれるんだよね、あの感覚!
私の「すき」ってきもち=ひかりで、相手が輝くのをみて、「あー、私の世界ってステキだなー!!」ってなる。
やっぱりひかりだなー、私の世界はひかりが在るから前を向ける。
希望と呼びたいなあ。
希望って言うとちょっとおおげさかなーって思うんだけど、
- ちょっとしたいいこと
- ほんのちょっとの優しさ
- 「あ、すき」ってきもち
ぐらいも全部含める!
スポットライトって言っちゃったけど、別に誕生日ケーキにさすロウソクくらいからでも、携帯電話が着信した時につくくらいのライトでも、全然よくって、もちろん太陽からの燦々とした光もぜーんぶふくめちゃうかんじ!
一つ例を挙げると、私、ちょうど昨日、大きな駅に居まして。
で、土曜なんでめっちゃ人がいらっしゃるんですよ。もう歩きづらい感じです。
で、おっきな紙バッグがぶつかったんですよ。
持ち主の方はそのまますたすた歩かれていったんですが、『痛かった・・・』とちょっと悲しくなりまして><。
どっちがどうのって話じゃなくて、やっぱり痛いって楽しいことではなかったんで、「あ、ついてない。しゅん・・・」ぐらいにはへこんだんです。
そう凹みかけた時・・・・・・
ちょうど顔を挙げると、一人の女性が私の前を横切りまして、
で、女性は男性にぶつかったんですよ。
女性はぶつかったのに反応せず、男性に振り向かないで歩いていて、
その時、パスモが落下して。
女性は気付かずに歩いていて、で、ぶつかけられた(ぶつかった?)男性がすぐ声をかけて!
すぐそばにいた別の男性も気づいて、女性に声をかけて!
パスモを男性が女性に渡して、その女性も笑顔でお二人にお礼を言われて・・・そのお三方は分かれて行ったんです。
・・・・・・・・、
なんか、優しさっていいなーーー!!!って思って!!
もう、なんかいい光景だなー!って!
ぶつけられてもパスモが落ちたのを教えてあげちゃうとか、自分は素知らぬ顔でもいいのに声をかけるとか、笑顔でお礼言うとか、さあ!!
こんな光景、見せられちゃったら、誰かの紙バッグがぶつかったこと(から始める後ろ向きな想像とか)全部ふっとんじゃうじゃん!!ってその場でめっちゃ思いました。
みんな嫌い!!って拗ねかけたって、誰かのそういうあったかい気持ちをひとつでも見つけちゃったら、この世界、素敵に決まってるじゃん!!って心変わりしちゃう(単純)
駅の雑踏の中で、一人、「なんかずるい!」ってなってました。笑
『私のことなんかどうでもいいんでしょ』って拗ねてたら、『あ、私のことちゃんと想ってくれてるんだ。やっぱもうだいすきだよ!』ってあっという間に惚れ直す感じ?(・ω・*)
話がいつものごとくずれていったような気もするんだけど><
ようは、この光景を見たら、「すきだなーーー!」ってなって、私の心はぱっと明るくなったんです。
ちっちゃいことでもなんでも、すきってなったら、やっぱり心が軽くなるんですよね。
で、私の心が軽くなるのは、あったかい日差しを感じたときとおんなじで、だから、希望=ひかりだなー。
あ、だからね、「すき!」って気持ちで相手を輝かせることができる自分は価値があるなあって思える。
なんだろ?
こう、自分自身を照らすひかりと、相手・ものなど他者を照らすひかりを両方持ってるのかなって。
で、「すき」がいっぱいのひとは、光ってんのかなって。
だから、周囲の人が集まってく感じ。
ひかりってやっぱりエネルギーだし、きれいだし、あったかいし。
その人のそばにいたら、自分まで輝く感じがするし。
で、「すき!」ってきもち=他者を照らしてばっかりだと、もしかするとひかりが足んないのかなって。
世界を照らす光がちょっと違って、「あの人の世界の方が輝いて見えるな―」ってなるのかなって。
それは、自分を照らしてないのかもしれないなって。
自分自身が輝いて、思いっきり輝くと、自分も光源体だから自然と他者も照らせる感じ。
他者を照らす光+自分の光で、そのひかりの明るさが増す感じ。
相手を照らす光だけじゃ足らないのかなって。
もしかすると、自分の光を照らした方がエネルギー効率的にすごくよくて、一気に世界を輝かせられるのかも。
自分へのひかりがついていなければいないほど、相手のひかりが眩しく見えるかもしれないし。
自分へのひかりがつくと、見たくない部分も見えちゃうのかもなーって。
でも、誰かが照らしてくれたら、「あ、悪くないかも?」って思えることもあるだろうし。
ああ、言葉がうまく出てこない・・・(*ノД`)ノ
ただなあ、なんだろ、私、自分のことすきかっていわれると、
「うむ・・・、すきだ(*・ω・)」
って一時停止してから答えるかもしれないけど、嫌いってことにはならなくて。
そりゃダメダメだなあって部分もあるんだけど、「すきだよ」って言ってくれる人がいて、で、それをさっきのひかりの例で言うなら、
誰かの「すきだよ」=ひかり=私にとっては日差しみたいであったかい
から、私は「すきだ!」って誰かに向けてひかりを当てられるってことは、私は誰かのあったかさをあげられる存在ってことで、・・・私、すごいじゃん!!ってなるんですよね。
なんか、ぐるぐるする感じですけど。笑
私の「すき」を相手があったかいとか居心地がいいって思うかは別。
それは相手がどう捉えるかだから。
ただ、相手を照らすひかりは、私にとってはきれいであったかいものだから、だから・・・すごい!!みたいな。自画自賛すぎるけど。笑
「すき」ってきもちって、私がいなきゃだめじゃんって。
私がいるから、「すき」ってきもちがある。
だから、すてきなんだよね。
って自己完結した。
そんな想像をしていたら、世界は誰かの光が、また私を照らしたり、何かと何かが反射したりして、はたまたどこかのスポットライトが消えたりして、いろーんなひかりが行き交っているのかなーって思えた。
希望がすきだ。ひかりがすきだ。
あ、あったかいきもちで眠れそう。
おやすみなさい。素敵な夜を。